失恋ソングを好んで聞いて涙するという違和感
西野カナや安室奈美恵に代表されるような失恋ソングを聞いて泣いた経験って誰でもあると思います。泣く程ではないけどウルッときたことはあるでしょう。
今までそんなことにはなんの違和感もありませんでした。
歌を提供する歌手・作曲家・作詞家もニーズがあるから作っているわけで、消費者側は泣きたくて聞いている人も多いと思います。
ライブの映像なんか見ると女子は100%泣いていますね。
そんなニュースが流れている時にふと思いました。
「何で悲しい過去の事を思い出して何回も泣くのだろうか?」と。
だっておかしくないですか?普通は泣くほど悲しい過去のことなんて思い出したくないです。少なくても僕は。
しかし、世間一般の女子たちは自ら泣くほど悲しい過去と重ねるように失恋ソングを聞いて涙を流します。それを何度も。異常じゃないですか??情緒がおかしくなっているでしょ!
どんな時に涙を流す?
例えば、この自然な流れであれば納得できます。
ちょうど失恋した(もしくは失恋して立ち直れない)時期に失恋ソングを聞くことになれば自分の今の境遇に重ね合わせてウルッとくるのはごくごく自然なことです。
その悲しみを糧に次の恋愛に向かっていくのですから。
上記の図は自ら立ち直ろうとせずに悲しみのリピートを繰り返す人のサイクルです。
そうです。このサイクルを見る限り彼女たちは自ら立ち直ろうとしていないのです。
しかもCDを借りて音源で聞くだけでは飽き足らず、ライブまで足を運んでわざわざ涙を流します。デリバリークライです。もはや意味不明です。
なぜ彼女たちは自ら繰り返し涙を流すのか?
僕は2つの理由があると思っています。
1つは図にも出てきていますが「過去の美化」です。
「あんなに愛し合っていた人と別れた」
「長い年月を共に過ごしてきた人と離れ離れになった」
「もうあんな人とは出会うことはできない」
恋愛していた時の思い出はどれもキラキラしています。振り返ってみると余計に「実際よりもかなり美化」されて頭の中に流れてきます。
僕自身もありました。
中学生や高校生の時の彼女達は今思い出してもとても可愛く、とても素敵な人たちだったなと思います。
けどそんなのは自分の中で美化されているだけであって実際はたいして可愛くないし、今会ったらガッカリする人も多いと思います。(本当に可愛かった人は今でも可愛いけど)。
そうやって過去のキラキラした思い出をいつまでも引きずり「こんな悲しい思いしている私は可哀そう」と自分までも美化してしまいます。
もう1つは「未練」です。
これは当たり前のことなのですが、未練がある別れ方をした場合過去を引きずり、昔を思い出すように失恋ソングを聞きます。
例えば
「私はまだ好きなのに一方的に別れを告げられて気持ちの整理ができていない」
「やむおえない事情で別れないといけなかった」
まだ気持ちがあるにもかかわらず恋が終わってしまった際に悲しみのリピートは始まります。
「別れたくて別れた人」「自ら別れを告げた人」は気持ちの整理が事前についている為、別れの後に引きずることはありません。多少費やした歳月を思って悲観的にはなりますが。。。
しかし、そういう人たちはいつまでも失恋ソングを聞いて過去の恋愛を思い出すのではなく、次のステップに進んでいます。
女性は前向きの方が美しい
そう考えると今の日本にはどれだけ行き場の無い気持ちが溜まっているのでしょうか。これだけ別れの歌や恋愛の歌がヒットすることを考えると、世の中の大半の女子は多少なりとも過去の恋愛に未練があるのではないかと考えられます。
僕個人的な意見としては
「過去を思い出して泣く女性」よりも「未来を描いて笑っている女性」の方がとても素敵で魅力的に見えます。
結局幸せになっていく人はそういう人たちなのかなと思います。
もっと世の中にポジティブな曲が溢れて、前向きな素敵な女性が溢れることを願っています。